「原爆記念日」と「終戦記念日」に思うこと

そもそもが原爆投下日を “記念日”と呼称するのもおかしいが「すべての国、特に核保有国は二度と使ってはならない。各国が広島長崎に集まって改めて核不使用を誓おう」というのが平和祈念式典の主旨だったはず。しかしロシアやイスラエルとパレスチナ代表を招待しない日本の判断に反発してG7の6か国は大使の参列を拒否。もはや政治ショーそのものになってしまった。核兵器なき世界を標榜しながら人類的視点に立てずあくまで日米同盟強化の枠内でしか動かない日本。とても世界に平和を希求する国体ではない。
もう一つ気になったことが、我々は8月15日を「終戦記念日」とするが、正確には、天皇陛下が玉音放送で武器を置き敵対行為をやめるように命じた「休戦宣言の日」なのだ。だから米国はポツダム宣言に調印した9月2日を終戦の日にしている。ソ連スターリンに至ってはポツダム調印の日にも樺太や北方4島に侵攻、占拠した。中国の終戦日の捉え方にも意図的齟齬がある。終戦時は南京にあった中華民国政府が中国大陸の代表であり、現中国共産党政権は二次大戦には全く関わっていない。にも関わらず9月3日を「抗日戦争勝利記念日」と云う。さしずめ19世紀初めの英仏戦争に、日本がかってに戦勝日を決めて祝うようなものでしかないのだ。