靖国参拝で思うこと

誰が参拝したとか、誰が玉串料を納めたとか、マスコミにはどうしても問題視したいという記者や編集者がウヨウヨいるのだろう。中国や韓国を勢いづかせるだけでいいことは一つもないのに。何か書きたい報じたいと云うなら「靖国神社の姿勢」を取り上げたらいい。
靖国神社の前身の東京招魂社はそもそもは戊辰戦争の官軍側戦没者を弔うという明治天皇の意向で造られた。だからもともとは「天皇の社」であり昭和天皇も戦後8回は参拝されていた。しかし時の政府(三木武夫など)は「天皇の参拝は憲法第20条第3項 ”国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない” に抵触すると答弁、政治問題化を恐れ、しかも軍人上がりの靖国宮司松永永芳は独断でA級戦犯合祀を行い「踏み絵」を仕掛けた。さらに輪をかけて中曽根康弘は中国の反発で参拝を中止、これをマスコミは大きく報じ勢いづいた中国韓国は靖国参拝を日本叩きのカードに利用した。一連の経緯からして「中国に屈した政治家ども」「靖国神社の思い上がり」そして「マスコミの煽り報道」からいまなお天皇が参拝できない事態が続いているのだ。これでは310万人(軍人230万人と民間人80万人)の戦没者はいつまでも浮かばれない。