加藤良三氏の一文

小生、これまで安倍国葬に関して岸田の稚拙な対処に批判はしたが、国葬自体を厭うコトはしていない。元駐米大使 加藤良三氏の安倍国葬への一文を読んでその意を強くしたので、国葬についての締め括りとして抜粋を転載する。
・・・国葬の是非をめぐる議論はあっていいが、目的のために手段を択ばぬ凶行凶弾に斃れたリーダーに対する哀悼の念が超党派的に示されることが個人の尊厳の確保を最大の課題とする民主主義の下での最小限の礼節ではないのか。国葬の費用云々が今の段階で主要な課題、ニュースとしてかくも声高に論ぜらるべきことなのか。国葬への招待を断って欠席する旨を敢えてメディアに喧伝することが英雄的行為になるとでもいうのだろうか。
日本には伝統的に「死者を鞭打つ」ことを戒める倫理観がある。「水に落ちた犬を打つ」様な仕打ちや反日教育の風潮には理不尽なものとして違和感を持つ。まして国際社会における自国の地位を間違いなく高め、諸外国からの敬意を勝ち得た日本史上数少ないリーダーの非業の死に際してごく基本的で当然の弔意を軽視し、空虚に刺々しい言動を政治やメディアが強調する現状にただただ虚しさを覚える。こういう倒錯した現状を駐日ジョージア大使から指摘され、たしなめられるのは日本人として誠に恥ずかしいことだ。
日本の文化は「恥」を最も嫌う文化といわれた。そういう感性を持ち続ける日本であるならば国葬に際して国際社会の目に映る自分の姿を思い返して身なりを整えるくらいの余裕と心構えは持つべきだと、心の底から思い願う・・・