邪馬台国論争にまた一石

「卑弥呼は北部九州の伊都や吉備(岡山)の勢力が話し合いで擁立し、纒向(奈良)を首都として倭国を治めた」という新説を寺沢薫(桜井市纒向学研究センター所長)が発表した。「畿内vs九州」という二者択一ではないところがミソで、①前方後円墳のルーツは吉備で後に畿内に伝播した。②古墳に銅鏡を納めるのは北部九州の影響。と二つを根拠に上げた。何とも ”いいとこ取り” の気もしないでもないが・・・
めぐる君の生まれ故郷、奈良桜井市にある纒向遺跡は南北1.5km、東西2kmにわたる大規模な遺跡。宮殿跡とみられる大型建物跡や物資を運搬した運河ともみられる巨大な溝などが発掘された。遺跡の南側には卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳があり邪馬台国畿内説の論拠となっている。寺沢氏の卑弥呼は “邪馬台国の女王” と云うより邪馬台国を含めた倭国(日本列島)の女王と考えた方がいいという説明は十分に納得感がある。