中国地方の最高峰・大山のふもとで大量の高地性集落の遺構が確認された「妻木晩田(むきばんだ)遺跡」と殺傷痕のある弥生人の骨が10体分も出土した「青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡」ともに国史跡に指定された弥生時代の2遺跡を抱える鳥取県は「弥生の王国」を掲げる。
魏志倭人伝の冒頭《倭人は帯方の東南大海の中にあり山島によりて国邑をなす》とあるのは九州北部地方の様子を記したものだろうが、この大山山麓一帯も最盛期の2世紀後半には約100世帯が暮らし人口は約500人にも達して全国最大級の集落跡だ。
魏志倭人伝は続けて《倭国は乱れ、相攻伐すること歴年》卑弥呼の登場以前に展開された「倭国大乱」と呼ばれる戦乱期について記している。青谷上寺地遺跡から出土した殺傷痕のある骨は大乱の痕跡と考える専門家が多い。青谷上寺地遺跡と妻木晩田遺跡を隔てる距離は約60キロ。時代が重なる両遺跡の交流の有無など数々の疑問の解明に向け調査は続く。両遺跡が邪馬台国をはじめ魏志倭人伝に記された倭の国々のどれかに該当するのか、その謎に迫る日が来るかもしれない。
11月 08
2020
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