読売新聞の平石冬樹という記者が自らの戦後体験記を載せた。登場人物が私の同じ歳なので興味深く読んだ。
終戦から4年が経った1949年11月、上野の商店街で2歳くらいの男児が立ち尽くしているところを警察に保護された。2歳だから会話もままならず、預けられた児童養護施設ではKと名付けられた。この頃のは度重なる空襲で東京の被災者は300万人以上、上野周辺には親を失った幼子がたくさんいたと云う。彼は医師の診断で1947年生まれの誕生日も決められた。記者がそのKさんと出会ったのは1980年前後、中央線沿線の小さなスナックで一人ウイスキーを飲む姿だった。Kさんはその後、胃や十二指腸などを病み入退院を繰り返した。1983年1月部屋で大量に血を吐き「食道静脈瘤りゅう破裂、肝硬変による急死」と診断された。36歳の若さだった。遺品の中には「私が社会にでてから私なりに感じ取った私の生き方。人にたよらず、人にあまえず、笑顔をわすれず、の三つでした」とのメモが残っていた。・・・今から37年前の東京の荒んだ生活ぶり、1947年生まれで肝臓を病んだこのKさんがなぜか気になる。
10月 24
2020
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