後藤新平の指導力、安倍政権は少しでも煎じて飲んだらいい。そんな意図?の解説が読売に載った。
たびたびコレラなどのウイルス感染に見舞われた欧州では既に14世紀から検疫が行われていたが日本では大きく出遅れて1879年明治政府が横須賀や長崎に検疫所を設けてからだ。ほどなく日清戦争当時(1895〜1896年)の中国ではコレラが流行、日本兵の帰還が始まると内務省衛生局の官僚だった後藤新平は大阪、広島、山口の “島” に臨時の検疫所を急造、帰還兵23万人の大規模検疫をわずか3ヶ月でやってのけた。その方法は徹底していて、上陸前に厳しく健康チェック、疑いがなければ入浴させ全ての持ち物を薬品消毒を済ませて上陸させた。疑いがある兵士は直ちに病室や船内で隔離したが彼らは戦争に勝った凱旋兵、しかし反発を恐れず検疫がいかに大事であるかを説く文章を25万枚印刷して兵士ひとりひとりに配り理解を求めたという。結局700人の感染者を発見した。
ドイツ皇帝に「感服した」言わしめた後藤新平の手腕だが、ウイルスが進化するなら対策はその上の進化・深化をしなければならない。残念ながら安倍政権は後藤の名声を消し去るどころか世界の嘲笑を浴びている。永田町も霞ヶ関も完全に退化しているのだ。
4月 17
2020
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