上大川小事件 行政側の敗訴

午後 2 時46分に発生した東日本大地震、小学校の児童と教職員は直ちに校庭に避難した。しかし校庭に逃げてから48分間はその場に居つくし、午後3時34分校庭に面した裏山へ登ることを選択せず、反対方向の三角地帯へ移動開始。その3分後に津波に襲われ児童74名と教員10名が犠牲となった。当然、当初から教職員の避難誘導のあり方が問題視され人災であると強く非難されてきた。
児童遺族23人は石巻市と宮城県を相手取り告訴。仙台地裁、高裁とも市と県の過失を認めていたが、最高裁は市と県の上告を退け、学校側の防災対策が不十分だったとして計約14億4千万円の賠償を命じた仙台高裁判決を支持して遺族側の勝訴が確定した。
この事件は偏に避難誘導に間違いを起こした学校側に過失があることは云うまでもないが、約8年間に渡る裁判に石巻市と宮城県の説明責任や上告を繰り返した言動は大いに問題が残る。裁判が争った行政と原告団、それに加わらなかった遺族、三者の深い溝は何を以ても埋められない。