香港は150年以上にわたってイギリスの植民地だった。香港島は1842年のアヘン戦争後にイギリス領となり、その後、イギリスは当時の清朝政府から「新界」と呼ばれる残りの地域を99年間租借した。それからの香港は活気ある貿易港となり1950年代には製造業のハブとして経済成長を遂げた。また中国本土の政情不安や貧困、迫害などを逃れた人たちが香港に移り住むようになった。
1984年、鄧小平が編み出した「一国二制度」の下に1997年中国に返還。初めは表現の自由などの権利は保障されていたが、次第に言論人、特に書店員が次々と中国に拉致?されたあたりから言論の自由はなくなった。現在、香港政府トップ行政長官は1200人(有権者の6%)からなる選挙委員会で選出され、しかもほとんどがるが中国政府寄りの人物が選ばれている。香港に住む人の大半は民族的には中国人だが、自分は「中国人」だという人はわずか15%、18~29歳ではたったの3%だ。
そしてついにデモ隊に警察官が発砲、3名重傷66名が搬送された。この先、市民が過激化して人民解放軍が投入されれば「第2の天安門」になる。世界の眼はいま香港と習近平の動きに向いているが、しかし寄りにも寄って日本政府は来春、習近平を国賓招待すると云うのだから、やっぱり平和ぼけニッポン、どこかヅレている。
10月 03
2019
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