百家争鳴

神武天皇はもちろん実在したしそれより遙か以前の縄文中期に既に天皇制の原型ができたと主張する宮崎正弘氏の「神武天皇”以前”」を読み始めた。氏は「魏志倭人伝から邪馬台国や卑弥呼だけを云々するが、卑しい漢字で卑下すされた倭国そのものの論考が全く進んでいない」と指摘する。そんな最中に、歴史家伊藤雅文氏は魏志倭人伝の新解釈で「邪馬台国は熊本にあった」との新説を発表した。要するに、これまで倭人伝「周旋可五千余里」を「一周すると五千里あまり」と解釈してきたが「周旋」は「めぐり歩く」の意味であり、倭地の訪問で「五千里あまりをめぐり歩いた」と解釈した方が正しい。とすると地図で示す範囲に限られるから畿内に邪馬台国を設定するのは全くのナンセンスだと云う。さらに倭人伝「邪馬台国七万余戸」は当時の都市規模からして熊本以外にはあり得ないと断言するのだが・・・宮崎氏の警鐘をよそに邪馬台国卑弥呼論争の百家争鳴はまだまだ続く。