「世界史の中の蒙古襲来」

宮脇淳子氏は韓国史の改ざんを理路整然と厳しく指摘して彼の国のインチキを曝いてくれるが、今度は専門のモンゴルやシナや満州や朝鮮半島から見た「蒙古襲来」を概観する試みでとても面白い。大意は蒙古襲来ではなく襲撃に参加した兵士のほとんどは高麗軍(ツングース族や女真族が入り交じった混成集団)だったと。いつものように横道(朝鮮史)などに逸れるがそれがまたいい。
高麗の家臣だった李成桂は主人の寝首を搔いて王朝(李氏朝鮮)を建てた。その報告に明の光武帝を訪ねた際に「国名は和寧か朝鮮かどちらがいいでしょう?」と尋ね、光武帝は「朝(貢)」が「鮮(すくない)」という蔑称の意味を込めて朝鮮を選んだ。しかし三拝九拝の李成桂は「朝が鮮やかですがすがしい」と解釈して有難く頂いたと。
以来、明国を崇拝し”事大主義” ”小中華主義”が延々と続き、転じて日本卑下、東南アジア諸国を見下す勘違い国家国民になり下がった。自分は「白鳥」だと思ってるが実は「黒鳥」であったのだ。鏡に映せばすぐに分かることを、鏡も汚れて姿が写らない。