非 “韓” 三原則

Voice 最新号に平野聡氏の「韓国の扱い方は清朝を手本とせよ」があったのでじっくり読んでみた。著者には「大清帝国と中華の混迷」という名著がある。
韓国人の多くは冊封国として従属を強いられながらでも漢人による「明朝」にシンパシーを感じながら、一方で、時の朝廷(李氏朝鮮)に従属を強要した秀吉の「朝鮮出兵」はその後の「韓国併合」以上に屈辱を感じているようだ。なので「明」を滅ぼした「清」はモンゴルの野蛮人による施政だからトコトン反目していた。この「清」と「李氏朝鮮」の関係に似て、韓国こそ道徳的で正義があるという思い込みはもはや替えようがなく、唯一の方法は「国際法や国際礼譲に即して韓国人が自らの逸脱を修正せざるを得ない局面に持ち込むことだ」と説いているが、う〜ん、そうだろうか。あの横暴中国を真似て、国際法を曲げて徴用工問題を蒸し返す韓国に国際礼譲を説いたところで馬に念仏。それよりは古田博司氏が云う「悲韓三原則」”助けるな” ”教えるな” ”関わるな” しか対峙方はないと思うけどナ。

ところで安倍さんは「来年の桜の咲く頃に国賓としてお迎えしたい」とG20で来日した習近平に呼び掛け「招待を歓迎する。その頃の国賓での訪問はいいアイデアだ」と答えたと云う。外交辞令とはいえ、こんなやり取りでいいのだろうか。まるで皇帝さまではないか。冊封国はブンザイトラだけでいい。