19世紀前半に英国王付きの地理学者が国後・択捉・歯舞・色丹の4島を日本領として扱った地図が英国立公文書館で見つかった。覇権国として「世界標準」を設定していた大英帝国が北方四島を1855年の日露和親条約以前に日本領と認定していたことは北方領土交渉をめぐる日本側の主張を裏付ける資料と云えると。地図は択捉以南の四島が北海道と同じ青色に塗られ、択捉島とウルップ島の間に国境線が引かれたと認識できる由。また1840年作成のもう1枚の地図では択捉のもう一つ先ウルップ島まで北海道と同じ赤色で塗られていてこの先に国境線があったことが窺われる。いずれにしてもロシアの主張は根拠が崩れたことになるが、さて・・・
4月 22
2019
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