邪馬台国

横になりながら新書「日本史の論点」をめくっていたらふと閃いた !!
今まで「邪馬台国」は当時の「列島」を統治する唯一無二の巨大権力と思い込んでいたが、そうではなくて列島各地にはそれぞれの地域を治める統治勢力があって、邪馬台国はそのうちの一つに過ぎず、畿内にはもっと強力な纒向王権が併存していたと考えていい。そもそも邪馬台国は魏呉蜀に分かれていたうちの「魏」王朝の魏志倭人伝に記されたいるに過ぎず、むしろ畿内の王権は「呉」と交易をしていたことが分かっている。百家争鳴「南に水行十日、陸行1ヶ月」はそのまま素直に読んで帯方群(ソウル付近)から邪馬台国までの旅程と考えればよく、九州筑紫平野説に納得する。