京大中西寛教授の「平昌オリンピック 政治と祭典 矛盾直視を」との一文。
今回のオリンピックほど、オリンピックという仕組みが抱える矛盾を示している大会はかつてなかったと言ってよいだろう。国際オリンピック委員会が定めた憲章では「スポーツと選手を政治的または商業的に不適切に利用することに反対する」と謳われている。しかし現実のオリンピックが政治やビジネスと持っている関係が適切とは言い難い。巨額の資金が動く商業化が利権や腐敗を生むのも必然だった。平昌から東京、北京と3大会連続で東アジア諸国での開催が続くのは、これら諸国ではオリンピック人気が比較的強いのに対して、それ以外の地域では国内世論のハードルが高まり乗り越えがたくなってきたことを反映している。北朝鮮選手の参加は期間中の平和を保証する最も有効な手段であることは間違いない。しかしその経緯は「オリンピックが平和を創りだすのではなく、平和がオリンピックを可能にするのだ」という現実をあからさまに示した。(抜粋)
これほど政治家に利用されたオリンピックはない。いつも思うが、ここは一度ご破算、人為による判定競技は「文化五輪」とでも称して純粋競技と分けて改めてギリシャから出直したらいいと思う。
2月 06
2018
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