大政奉還 その時、二条城では・・・

新発田藩家臣 京都留守居役寺田喜三郎が残した大政奉還の経緯を書いた文章が発見された。徳川慶喜が京都二条城で重臣に伝えた際の克明な記録だと云う。
「大政奉還」とは徳川慶喜が将軍の位を朝廷に返上したことを云うが、今度、発見された文章によると当日二条城へ集められたのは40藩の重臣50人ほどで、一同が二の丸大広間に詰めていると老中板倉勝静が出座し「書付3通を渡すので考えを腹蔵なく申し上げよ。将軍が直々にお聞き遊ばされる」などと説明したとある。よく上の絵で見るように、慶喜が重臣の前に出座したことはなかったようだ。
最近、本屋さんには「明治維新のインチキ」とか「覆る明治維新」とか、この辺りの歴史を見直す著述が多い。そもそも明治維新のイメージは薩長のプロパガンダと司馬遼太郎が創り上げた幻影でしかなく、歴史が簡単に書き換えられた顕著な事例と見るべきだ。なので今度の発見は大いに意味があり記録の概要を早く知りたい。