所詮は “自分党”

今度の民主党のゴタゴタを見てかっての日本社会党の党史に興味が湧いた。日本社会党は左派の労働農民党や中間派の日本労農党、右派の社会民主党が合同したもので、最初から左に寄ったマルクス主義を掲げる人たちと反共的な民主社会主義を唱える人たちの寄せ集めだったからこれまで何度も離散集合を繰り返してきた。そして1994年河野洋平率いる自由民主党と村山富市が代表の日本社会党、そして武村正義代表の新党さきがけが連立政権を組んで村山富市社会党委員長を内閣総理大臣に指名した。その村山は「自衛隊は合憲」「日米安保条約を堅持」「君が代・日の丸を容認」する国会答弁をして社会党は自滅。左派勢力は新社会党、右派系は民主党そして民進党へ改名していく。この流れの中に自民党の主流を外れた小沢一郎は新進党を結党してやがて合流していく。一方でテレビ出演を契機に細川が結党した日本新党に小池百合子は加わり新進党から自由党に改名した小沢一派に小池も加わる。だから小池は日本新党→新進党→自由党→自由民主党→都民ファースト→希望の党と、都合良く目ま苦しく渡り歩く「政界の渡り鳥」の再骨頂だ。

さて今度の前原の解党は村山と同様、政治史に悪名?を残すだろう。また年寄りと政党を平然と渡り歩く小池は小沢と同様、やがて政界から消えてゆく筈。国民はそんなに甘くない。