奈良文化財研究所は橿原市の藤原宮(694〜710年)跡で大型旗跡とみられる柱穴が7本分見つかり、続日本紀の「701年元旦、律令国家の完成を祝う儀式で7本の幢幡が立てられた」との記述と一致していると発表した。続日本紀には更に詳しく「中央には先端に八咫烏の飾りを付けた旗を配置。その東側に太陽像と青龍、西側には月像と玄武白虎を表した旗がそれぞれ三角形状に立てられていた」と記している。新年を迎えて、本格的な律令制度(大宝律令)による国家成立を内外に宣言した国家儀式の様子が鮮やかに蘇り、誠に興味深い。(復習)668年天智天皇が都を近江大津に移し「明神御宇日本天皇」と自称したことが「日本」という国号と「天皇」という王号の起源とされる。670年に初めて戸籍をつくり、671年に中央政府の官職を任命して「近江令」を施行したことを以て「日本国の成立」とする説が有力だが、上の701年元旦の国家儀式で日本史上初めて律と令が揃って成立した本格的な「大宝律令」の施行を内外に示したことを以て「日本国の成立」とする説もある。
9月 30
2016
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