「砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日」時に感傷的、時に
「愛犬の耳斬きりてみぬ あはれこれも 物に倦みたる心にかあらむ」鬼畜の振る舞い。結局、心身とも病んで26歳にして没。だから啄木にはいいイメージを持てなかったが、キーン先生、94歳にして最後?の研究対象をなぜ放蕩の限りを尽くしてローマ字で綴った「啄木日記」を選ばれたのかを知りたかった。
敬老の祝日、アルフォーレの2階席で啄木研究の第一人者、池田功先生の「啄木の日記を読む」を聴いた。さすがに明晰な演義のうえにキーン先生への敬愛がひしと伝わる鮮やかな講演だった。
「日本で古くから独自の発展を遂げた日記文学。明治という近代に生きた子規や独歩も日記風の文章を残したが彼らは性情の内側を明かすことはなかった。しかし啄木は違った。自分のあらゆること、汚いところも見せてこういう人間だと書いた。その意味で啄木はまさに最初の“現代人”なのだ」と・・・ただそうは云われても二重人格者としか思えないし、そもそも日記とはいえ他人に読ませる意図が少しでもあれば脚色だってするだろうなどと雑念が湧く。
お話を伺いながら「日本独自の文学ジャンル日記文学を世界に展開する時宜は来た」と確信した。願わくばキーン先生のご縁を頂いた財団と出版社が共同して「ドナルドキーン”国際”文学賞」の設立を申しあげたい。若ければ提案書をまとめるのだが69歳にして気力は萎えた。先生の爪の垢を煎じたい。