祭のあとの空しさ

リオ五輪が終わって、日本選手の大活躍はお見事だったが、祭りのあとの空しさを強く感じる。スポーツ競技とは「より速く、より高く、より遠く、より強く」の精神の下で、明快なルールに則り、誰の目からも勝ち負けが分かることではなかったか。しかしいまや金と薬物にまみれ、あまりに複雑なルールと審判の恣意的判定、組み手の争いに終始するアンフェアーな戦い方など、スポーツマンシップとはほど遠い場面を多く観過ぎたからだ。
この上は、いまのオリンピックは一度解体して、古代オリンピック種目に縮小することも一案だし、縮小がいやなら夏季+冬季をご破算にして次のように再編したらいい。
①時間・距離だけで計れないもの、審判の心証で左右される種目は「芸術性オリンピック」とでも称して別途開催。
②夏季の屋内競技を冬季大会に組み込めば競技数のバランスは取れる。
③球技は団体戦オリンピックとして別途開催。
これで夏季オリンピック、団体戦オリンピック、冬季オリンピック、芸術性オリンピックと順次に開催すれば競技は4年ごとながら毎年何らかのオリンピックが楽しめる?ではないか !!