不承知ながら、ここでも米国の都合主義が絡んでいるいた・・・
①スンニ派の盟主サウジアラビアとシーア派の大国イランは長年つかず離れずの関係を保ってきた。
②スンニ派とシーア派は予言者ムハンマドの死後、その後継者となる最高指導者「カリフ」を誰にすべきかを巡って分裂したイスラム教の2大宗派。スンニ派は教徒の話し合いによって選ばれた者がムハンマドの後継者になるべきだと主張したのに対し、シーア派は血統を重視しムハンマドの子孫のみが後継者であるべきだとした。
③米国は長くサウジアラビアを支援、イランの親米政権も支援していたが、1979年ホメイニ師が親米政権を倒し「革命の輸出」を掲げたことから、サウジは自国スンニ派への挑戦だとして一時期国交を断絶した。
④米国はイラクフセイン政権を倒すためイランシーア派への支援を始めた。
⑤米国はシリアのシーア派系アサド政権とイスラム国を倒すためイランの反政府組織(スンニ派など)に急接近。かって英国ような変節。
⑥米国のイラン急接近などの状況変化からサウジはシーア派指導者3名を処刑。イランとサウジは国交断絶に踏み切った。
結局、昔も今も欧米の自国よがりの施策がイスラム教徒の対立を激化させる原因をつくる。
1月 06
2016
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