江ノ電の奇跡

トレセンのジョギング中、すっぴんPodcast「江ノ電の奇跡」を聴いて思わず涙。汗を拭くふりで誤魔化した。古い話ながら感動実話なので転記する・・・

1998年9月、江ノ電の総務課長だった楢井進さんの元に病気の子を支援する団体から手紙が届いた。「江ノ電の運転手になりたいという子の願いを叶えていただけないでしょうか」これが16歳鉄道少年新田朋宏君との出会いだった。
手紙が届いた日から楢井さんは実現に向けて動き出した。鉄道法に違反せずどこまでできるか、点滴付きの車椅子をどう運転台に乗せるか、試行錯誤が続く。決行予定日は11月5日。しかし前日に朋宏君の心臓が一時止まり中止。暖かい春にやろうとの再提案に主治医の返事は「もたない」だった。6日後の11月11日、朋宏君を乗せた救急車が藤沢駅に到着。「元気なんです。ずっと笑顔で目がすごく輝いていて」付き添いの先生が不思議がっていた。運転士の制服に着替えた朋宏君を乗せ江ノ電は出発。万一に備えていつもは無人の駅にも駅員が立ち、運転席の朋宏君を最敬礼で迎えた。江ノ電108年の歴史で全駅に駅員が配置されたのはかってなかったという。朋宏君は検車区間で実際の運転も体験したあと制服姿のまま病院へ。後ろを振り返りながら大事に抱えていたのは社員たちが贈った翌年のカレンダーだった。4日後、朋宏君は静かに息を引き取った。江ノ電
楢井さんは新入社員が入るたび朋宏君のことを話す。「こんなに江ノ電を愛してくれた子がいるんだ。私たちは襟を正して仕事しよう」江ノ電本社に出社した社員が必ず通る壁には一枚の絵が飾られている。鉄道少年新田朋宏君が描いた江ノ電を運転する男の子の顔・・・

亡くなって10年を経た2008年12月、江ノ電は「新田朋宏 乗務区 運転士を命ずる」の辞令を発令した。当初は反対していた関東運輸局も「聞かなかったことにする」と黙認したという。