前稿で「物ごとを発想する時はその思考の経過が大切」と書いたが、実は来秋のある企画演出の仕事から身を引いた理由もそこにある。注文者の希望に応じて柔軟に対応してこそ企画演出の醍醐味があると思ってはいるが、立ち位置が違い過ぎるのかレベルが違い過ぎるのか、会話が成立しないのだ。そのくせ「NST祭りのような志向でいい」とか、こちらの意図を理解しないまま核心的な部分を「書き換えたい」とか、あ然とすることばかりでついにマジ切れた。
企画演出の仕事とは「時間と空間」の中に見える形(イメージ)を自然の流れで展開することにある。だからなおのこと発想の思考の経過が大切なのに、ここではそんなことは全く歯牙にも掛からない。一応「皆さんでも十分こなせるから」とおべんちゃら云って身を引いたが「こんな連中、手伝えるか」「君たちには無理」というのが今も変わらぬ偽らざる本心だ。
8月 29
2015
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