太平洋戦争末期、パラオ島民の多くは日本軍のために塹壕作りなどの作業を手伝った。いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になり、島民は話し合って「自分達も一緒に戦わせて欲しい」と日本の守備隊長中川州男陸軍大佐に申し出た。ところが隊長は「帝国軍人が貴様ら土人と一緒に戦えるか!」と激昂して追い返した。しかし島民が船で島を離れた時、日本軍は全員浜に走り出し島民を見送った。先頭には笑顔で手を振るあの隊長も。その時、島民は悟った「あの言葉は自分達を救うためのものだったのだと・・・」
パラオペリリュー島の戦い・・・1944年11月25日から3日間で日本軍10,695名、米軍1,794名の戦死者が出た。しかしパラオ島民の死者負傷者はゼロだった。
4月8日、天応皇后両陛下が初めてパラオを訪問される。パラオ大統領は「光栄でありがたく思っている。歴史的な機会だ」と歓迎の言葉を述べるなど、戦後70年の歴史に残るパラオ訪問になるだろう。
3月 30
2015
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